佐々木郎希選手の経歴やプロフィール・出身校はどこ?辛い過去や高校での活躍を紹介!

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こんにちは〜ちゃみんです♪

2019年10月17日のドラフト会議は、感動しました〜!

今年のドラフト会議1番人気の佐々木郎希選手の選抜は盛り上がりました。

佐々木郎希選手は、4球団からの指名1位が入り「千葉ロッテマリンズ」が見事引き当てましたね!

今年のドラフト会議も様々な選手のドラマがあって本当にプロになる選手って素晴らしいハートの持ち主なんだなぁ。

と感動していました。

佐々木選手は、夏の甲子園には出場出来なかったのですが、何故ここまで期待されているのか?

気になりますね!佐々木選手の経歴・プロフィールや過去なども調べてみました。

読み終わる頃には、佐々木選手のファンにきっとなるはず・・・!

では行ってみましょう〜

佐々木郎希選手の経歴は?

小学4年生で大船渡市へ越して来た佐々木選手。

中学3年生で球速140キロ超をすでに投げていました。

そんな佐々木選手は、「中学時代の仲間と一緒に地元の公立高校から甲子園を目指そうと」

という理由で”大阪桐蔭”など強豪校の誘いも全てを断り大船渡高校へ進学しています。

ちゃみん
かっこいい!仲間意識が強いって惚れる

・高校での活躍

高校1年の冬に腰の怪我で3ヶ月ほど野球が出来なかった期間を経て。

2年の春には150キロ、秋には最速157キロと記録を叩き出し、少しづつ注目が広がっていきます。

2019年3月の作新学院との練習試合では、プロ野球全12球団・米大リーグ6球団から計40人を超えるスカウトが集結し彼のプレイに圧倒されました。

8年連続甲子園出場校の作新学院に先発して3回を投げ、”1安打1失点で6奪三振”でスカウト陣は高揚したようです。

「20年以上選手をみてきた中でもここまでの選手はいなかった」と絶賛されました。

・令和の怪物

4月には、U―18の合宿にて驚異の163キロを出し日本記録を更新させました。

4月中旬に骨密度検査を受け、その結果を踏まえて「まだスピードに耐えられる体ではない」と肩を壊してしまう可能性がある事を述べています。

合宿での周りの選手のレベルが高く、”163キロが”出てしまったと・・・。

彼の活躍は瞬く間に取り上げられ「令和の怪物」と期待が高まりました。

同じ岩手出身で怪物と言われた”大谷翔平”さんは160キロなのでそれを超えたということになります。

その後の練習試合でも、いきなり156キロを出し日米スカウト陣に衝撃を与えました。

ちゃみん
すごっ!だからすごく期待されている選手なんだね。納得だわぁ

・向上心が高く前向きな姿勢

佐々木選手は選抜大会で活躍している。

星稜(石川)の奥川恭伸投手横浜(神奈川)の及川雅貴投手ら同学年のドラフト候補が投げた試合を熱心に研究してたようです。

「〇〇選手のここがいい。自分もそうしたい」と良いところを取り込もうと常に前向きな姿勢で取り組んでいたんですね。

その後、(5月春)岩手県大会の1回戦で、大船渡は釜石に延長十回4―5でサヨナラ負けして甲子で見ることは出来なくなりました。

「令和の怪物」佐々木くんの活躍を期待されていましたが、甲子園でみられなく残念だった人も多かったのではないでしょうか?

ちゃみん
でも、夏の甲子園出ちゃってたら肩壊しちゃってたかもね!

負けん気の強い佐々木選手は、きっと甲子園に出場していたら記録を伸ばし続け肩を痛めてしまった可能性もあったかも知れません。

ということは、結果的に良かったのかもですね!

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【佐々木郎希選手】プロフィール・出身校

佐々木選手のプロフィールを紹介していきます。

佐々木 朗希
守備投手
身長・体重189cm・81kg
生年月日2001年11月03日
所属大船渡高
球歴大船渡高
出身地岩手県陸前高田市
投・打右・右
コメント最速163キロを誇る怪腕。落差の大きい変化球も織り交ぜ、三振を積み重ねる。昨秋の県大会、準々決勝で15三振を奪い完投勝利。今夏は準決勝で2安打完封を果たし、準優勝に輝いた。

出典:gooニュース

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【佐々木郎希選手】辛い過去とは?

東日本大震災での最愛の父との別れ。

佐々木朗希選手が小学3年生の時に東日本大震災が起こりました。

その震災で、父・功太さん始め。

祖父・功さん、祖母・勝子さんを亡くしています。

その時、”父・功太さん”は37歳という若さだでした。

避難生活を経て大船渡市に引っ越し、猪川小学校に転校しました。

【佐々木郎希選手】最大の武器は負けず嫌い

佐々木選手は、当時U-15ので選ばれた”及川雅貴投手”を待ち受けにして、メラメラ闘志を燃やしていたという。

ちゃみん
会った事もない選手に意識が行くってすごい!

佐々木選手の負けず嫌いが、彼の成長に繋がっているんですね。

・「負けず嫌い」は兄の存在のおかげ

「負けず嫌いを育んでくれたのは兄の支えがあったから」と話す佐々木選手。

3学年、年上の流希(兄)さんは、佐々木選手に厳しく接していました。

母「流希さんの佐々木選手を褒めた姿が見た事ない」と話します。

流希さんは大船渡高校野球OBで4番も任される実力もあったそう。

「上下関係が厳しくて、人に迷惑かけたりすると怒られた」と佐々木選手は話しており。

生活面に限らずプレー面でも「お前レベルの選手はたくさんいる」と褒めることなく、あえて突き放し続けた。

その理由は、震災でなくなった父・功太さんの厳しい教えがあったからかもしれないですね。

ちゃみん
お兄さんは、お父さんの代わりに厳しくしてくれたのかもしれないね・・・

「今は優しい。いろいろ強くさせてもらった」と話す佐々木選手。

お兄さんが、佐々木選手の「負けす嫌いを」育ててくれたんですね!

まとめ

辛い過去があっても挫けず、持ち前の負けん気で突き進んでいる佐々木郎希選手からこれから目が離せませんね。

プロの世界に飛びこみ。

日本で・・・いや!!

世界で活躍する日も遠くないかもしれませんね。

最後まで読んでいただけて感謝です。

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