こんにちは。
大人気の婚活サバイバル番組「バチェラー」の男女逆転版である、初代バチェロレッテに選ばれた福田萌子さん。
「踊る!さんま御殿」や「こんくら」などのバラエティ番組で見た人も多いのでは?
福田萌子さんはモデルで、ミスユニバース・ジャパンで3位になった9頭身のスタイルの持ち主。
アディダスのグローバル・アンバサダーもつとめています。
しかも実家は日本各地に家を構えるほどのお金持ち。
美人でお金持ちで、苦労なんて一切していないように見える福田萌子さん。
でも実は趣味のロードバイクで事故を起こし、一時は恐怖心から自転車に乗れないほどのトラウマを抱えていました。
この記事では福田萌子さんの事故がどんなものだったのか?
そして福田萌子さんが行ったストイックなトラウマ克服方法をまとめました。
ただキレイなだけじゃない。福田萌子さんが初代バチェロッテに選ばれた理由のひとつが見えると思います。
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【福田萌子】ロードバイク事故とは?
福田萌子さんのもう一つの肩書が「スポーツトラベラー」。
旅をするみたいに数々のスポーツに挑戦していること、世界中を旅してスポーツを楽しんでいることを意味しています。
スポーツのなかで、福田萌子さんの人生に大きく影響したのが、ロードレースでした。
ロードレースは“自転車版のマラソン”と言われるハードな競技。
ロードバイクという最高時速50km/hものスピードが出る自転車に乗り、100km前後の長距離を走行します。
福田萌子さんがロードバイクをはじめたキッカケ
2015年2月、福田萌子さんはロードレース大会の「サイクリング屋久島」に知人の誘いで参加。
ロードバイクを買った直後なのに、100kmのコースを走破してみせます。
その数か月後には、ニューヨークで催された自転車イベントで64kmを楽々と完走。
福田萌子さんがロードレースの魅力にのめり込むのに、時間はかかりませんでした。
福田萌子さんのロードバイク落車事故
しかし2015年9月、ハワイの人気自転車イベント「ホノルルセンチュリーライド」で、希望いっぱいだった自転車ライフが暗転。
大会当日は大雨。
下り坂のコーナーで、事故を起こしてしまいました。
福田萌子さんの目の前に鉄板が入り、わけが分らないまま激しく転倒。
つぎに気が付いたときには血の海が広がっていたそうです。
あとから事故を振返ると、スピードが出すぎる下り坂で自転車のブレーキを握りながら、塗れてすべりやすくなった金属性の側溝の蓋に乗ったことが原因でした。
前輪がスリップしてコントロールを失ってしまったのです。
文字で読むだけでもショッキングな事故ですね。
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【福田萌子】ロードバイク事故からのトラウマ
福田萌子さんが負ったケガは、顎を4針縫い、骨折もする重傷でした。
モデルのお仕事にとっても、顔の傷は致命傷です。
大丈夫だったのでしょうか。
幸い傷は治り、再びモデル活動とスポーツができるように。
でも福田萌子さんの心には、癒えない傷が残ってしまいました。
福田萌子さんは「起きてしまった事は変えられないから、くよくよしてても始まらない」と前向きに気持ちを切り替えていました。
しかしいざ自転車に乗ろうとすると、体はこわばり冷や汗が出る、というトラウマ症状が出てしまうのです。
福田萌子さんは事故の翌年、「サイクリング屋久島」にエントリー。
大会を完走し復活することを目指しました。
しかし会場入りしたとたん、全身が凍り付くほどの事故のフラッシュバックに襲われます。
2016年の「サイクリング屋久島」はスタート直前での棄権に終わりました。
自分の意思でコントロールできない心の傷のせいで、大好きなことが出来なくなるなんて辛すぎますよね。
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福田萌子のトラウマの克服方法もストイックで素敵
ロードバイクでスピードに乗って坂を下るのは熟練が必要。
落車を経験し、その恐怖心からロードバイクに乗れなくなる人は少なくないようです。
では福田萌子さんはなぜ、事故で大怪我をしてもロードバイクに乗りたいと思ったのでしょう?
そしてどうやって事故のトラウマを克服したのでしょうか?
福田萌子さんはロードバイクに乗れない日々も努力を続けていた
福田萌子さんを再びロードバイクに向かわせたのは、自転車競技ならではの魅力でした。
「自転車では長い距離も走ることができる。こんなに気持ちがいいことはありません。何とか乗れるようになりたい」
と語っています。
また「弱い自分に打ち勝ってまた一つ成長できたら」と、福田萌子さんがもともと持っていた逆境をバネに成長する考え方も、トラウマ克服の原動力になったようです。
福田萌子さんはトラウマのせいでロードバイクに乗れなくても、あきらめませんでした。
いつかロードバイクに乗る日のために、スポーツジムのバイクマシンで体力を維持。
音楽に合わせバイクを漕ぐ「フィールサイクル」という新型バイクエクササイズを週に3回も取り入れ、ロードバイクに乗る感覚を忘れないよう努めていました。
福田萌子さんをサイクリストが応援
ひなむきな福田萌子さんに、心強い協力者が現れます。
自転車専門メディア「Cyclist(サイクリスト)」から「福田萌子のもう一度、南の島を走りたい」という企画の提案が届いたのです。
「サイクリング屋久島」100km完走を目標に、基礎からのトレーニングが始まりました。
福田萌子さんがすごいのは、コーチや特訓メニューをこなすだけでなく、とても積極的に自主練にも取り組むところ。
練習会のあと、自宅前の駐車場で習ったことを毎日繰り返しました。
マンガ「弱虫ペダル」や海外ロードレースのビデオを見て、イメージトレーニングもしたそうです。
ロードバイクの安全点検をする知識と技術も学びました。
福田萌子さんは再び屋久島で100km完走
自分の心と体、自転車としっかり向き合った福田萌子さん。
練習を始めた頃はちょっとした道路の割れ目すら怖がっていたところから、再びサイクリングを楽しめるまでになりました。
ストイックに練習を重ね2017年2月、ついに「サイクリング屋久島」で100kmを走りきりトラウマを克服。
ゴール地点では嬉しさと感動、安堵で涙が溢れてきたそうです。
福田萌子さんのロードバイク愛とストイックに努力する姿勢が、多くの人からの応援を呼んだ結果のゴールですね。
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まとめ
初代バチェロレッテ、福田萌子さんが経験した、ロードバイク落車事故とトラウマ克服までの道のりでした。
血の海を見るほどの大怪我をしたのに、もう一度ロードバイクで100kmも走るなんて、福田萌子さんは本当に強い女性だと思いました。
また周りの助けに感謝して、ひたむきに頑張る姿勢は、福田萌子さんが応援され愛される所なのかなと感じました。
2020年夏スタートの「バチェロレッテ・ジャパン」では17人の男性が福田萌子さんにアタックします。
福田萌子さんと価値観を共有できるパートナーは現れるのでしょうか?展開が楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
バチェロッテ・ジャパンを視聴することが出来るのは、アマゾンプライムだけ!
夏に公開予定です!↓
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